Computer World

題名はクラフトワークの楽曲からいただいてみました。

本日ミニマムとマックスについての話を
とある会社の会長からお話し頂きました。

「宇宙=人間」
「真理とはなにか」

話がでかい。そして、今人間力が弱まっている私がとても小さい。

はー。なんかまいったな。。。(こんな自分に。)

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今。時代はまさに「Computer World」です。
今インターネット回線がなくなりました。って言われたら。。。
クラウドビジネスが推進されている今。あらあら仕事のデータはどうなるんでしょう。。。

自分が常に思っている事は「コンピューターは万能ではない」ということです。

最近のニュースでは、
もうすぐ人間の脳を上回ってしまうコンピューターの脳ができようとしているらしいです、
個人的にはうーん。まだ無理なんじゃないかな。って、思います。

photoshopなりillustratorなり、なんでもいいんですが、
データをひたすら拡大していくと、「1ピクセル」というミニマムにいきつきます。
かたや例えば地球全体を覆えるほどの印刷データがプリントできるか?
まあ、ちょっとアホなことを言っているのは承知なんですが。

何が言いたいかというと、コンピューターは現実の一部分をデフォルメした、
パロディー?オマージュ?そういった存在であり、つまりナチュラルなものではない。
ということです。

コンピューターウィルス、ワクチン。これらもそうですよね。
コンピューターが病気する。感染する。という。人間のパロディー?です。

で。だからなんなの?
っていうところなんですが、

その辺何がなんなのか、最近漠然と自問自答している毎日だったりします。

自分のミニマムはどこで、マックスはどこなのか。
どこまでどんな事に関わるべきか。距離感。スケール感。キャパシティ……。
己のそういったものを見失ってしまうと、
本当に大変になってしまうな。という漠然とした危機感。

コンピューターや本が自分の脳みそにある、辞典をフォローしていたり、
人脈からのお付き合い。仕事をいただいたり、またはお手伝いをしてもらったり…。

・自分。から自分が切り離れるのは、どこまでが自分なんだろうか?
・どこまでを自分にしなければいけないのか?
・肉体の自分から離れた自分(の意思)をどう操作していくのか?
  また、それは、本当に自分(の意思)なんだろうか?

「漠然とした危機感=具体的ではない」
これが今非常に恐ろしい存在として、常に頭の片隅にいるのでした。
これを具体的にしていかないと、恐怖の存在として居続けられてしまう。

悪い意味(=自分が可哀想視点)でばかり捉えるとこんなかわいそうな状況で、
言い意味(=客観的視点)で考えてみれば、試練、業。です。

これを1つ冷静に考えると乗り越えなければいけない何か。なんでしょう。

テキストにしてみてちょっとだけ、見えてきたかもしれません。気のせいかな。。。

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